なんか訳のわからないタイトルをつけましたが、最近、過去を振り替えざるを得ない状況が続いたもので・・・
面倒でしたら最後の結論だけどうぞ。(赤字)
昨日、体育祭の打ち上げがありました。
後輩が、うちの学年の女の子に恋をして、告白するというのです。
その子は、僕の元カノでありまして、いろいろまた聞かれる羽目になりました。
まあそんなのはいいとして、抽象的なことに移りますね。
まずは事実から。
「僕は、過去のことは多く語りません。」
特に、恋愛のことに関すると、その傾向は著しく現れます。
なぜか。
それは、ぶっちゃけ恥ずかしいからです。
何が恥ずかしいのか。
過去の自分が非常に恥ずかしいのです。
僕は、一つ学年があがるごとに、心の中で、漠然と目標を定めています。
毎年3月になると、一年を振り返り反省をします。
毎年4月になると、その反省を生かし、目標を決めるのです。
最近思います。僕は着実に成長していると。
特に恋話の話題では、「あの頃は馬鹿だったなぁ」と思います。
中2頃は、まともに女子としゃべれなかったり、去年は、無理矢理はしゃいだりしました。
でも今では、無理する必要もないし、自分は自分のままであるべきだと思うようになれました。
高2になってやっと、「自分」というものをもつことができた気がします。
人間は、日々成長をしています。
特に十代の成長は著しいものです。
身体的にもそうですし、精神的にもおおいに成長するでしょう。
しかしその成長を自分で認識しながら生きる人は数少ないはず。
俺は、意識して、ちゃんと考えている。
でもね、自分が今振り返って、過去の自分を客観視できるからこそ、過去が恥ずかしいのだ。
「あの頃はあんなころをしてしまった」と。
「自分のことは自分がよくわかっている」とよくいうけれど、
なかなか今の自分自身を把握するのは難しいものです。
でも「過去の自分をよく知っているのは今の自分だ」
過去の自分のことがわかっていて、今は成長しているから、
僕は、胸張って言い訳して、謝ることができる。
ほんとにまとまりのない文章になってしまった。まだまだです。
僕が仮説を立てるに、若い人、特に10代、20代は、急激に成長する。
40、50代になるとほぼ横ばい。
言い方が悪いかもしれないが、高齢者は、マイナスの傾きで成長している。
だから大人は昔のことばかりはなすのである。
昔は~だった。←これは昔がよかったから、懐かしいから、すばらしいものだったと感じているからではないでしょうか。
とにかく僕がいいたかったのは、若者は、自分も含め着々と成長している。
それを僕はきちんと認識し、過去の自分を客観視することができるから、なんとなく恥ずかしいのである。
だから僕はあまり過去を語りたくない。つい閉口してしまう日々が続いています。
ながながとなりましたが、最後まで読んでくれた方はありがとう。
では、また^^
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