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「だいたい何で俺が恋をしなくちゃいけないの、訳がわからない。
てかもうどうだっていいし。あんま周りが盛り上がると乗せられちゃうんだよね~~」
こんな感じの日々が続いてますw
え~と、まず最近の思索から僕の基本的な性格が浮かび上がってきました。
結論から言うと、【面倒くさがり屋】【優しい】【勉強熱心】【真面目】 といったところですね。
基本的性格といっておきながら、4つあるのには、訳があります。
この4つは、表現が違っているだけのものや、因果関係にあるものです。
これらの関係を説明したいと思います。
え~とどれからいこうか迷うところではありますが、じゃあまず、
【面倒くさがり屋】
まず前提として、僕は本当に理性的な人間であることを押さえていただきたい。
なんでも順序立て、理由付けをして、問題を明確に、対策を具体的に考えて行動しています。
いわゆる情報の教科書に載っているような問題解決方法を普段から実施しているのです。
それに加え、自分でいうのはなんだが、普通のひとよりは頭がいい。
つまり、理解力がある。
たとえば僕が先生に軽く質問をしたとする(実際にあることだが、)
先生が丁寧に説明してくれるが、結局俺は、
「まあどうでもいいけど」と流してしまう。今考えると非常に失礼かもしれないw
とにかく最初の一言で、大まか答えを理解したので、その先のくだらないことを聞くのは面倒なのである。
男は一般的に、要点さえつかめればそれ以外は要らないものと考える。
これは、進化の過程からそうなっている。
男は、狩りにいくので、必要最低限の情報を簡潔にやりとりしたい。
女は、ずっと集落にいるので、ぺちゃぺちゃとしゃべっている訳である。
ちなみにこれらは、小論文の先生から教わりましたw
僕が言いたいのは、要点をつかむために、不必要な問題は、意識的に切り落としているということです。
書いている間に、意見がもっと簡潔にまとまってきました。
上の4つを訂正します。
【理性的】
すべての僕の人格を決定づける根幹はここにあると思います。
この土台の上に、二つの柱があります。
それが、
【勉強】と【思索】です。これは僕の行動基準です。
まず今の僕の目標は、「大学受験で最高の結果を残す」ということです。
なぜならそれが、僕にとってよりよいものだと考えたからです。
結果、基本的に最優先事項が、【勉強】となりました。
それゆえ、前述のように面倒くさがり屋になった。
かつ、適応能力があるため(基本的に僕はMですね)、多少、他人のリクエストにも応える優しさがあります。
(そうだね~例を挙げるなら、勉強を教えることとかかな。教えるのは自分のためになるでしょっw)
でもそれは、本当は自分のためなのです。反発して面倒なことになるのは、時間のロスである。
簡単に優しくしておけば、好感度もあがるしねw
理性的にものごとを進めていくと、非常に考えることが多くなり、感情で動かなくなります。
だから常日頃考えています。
感情にとらわれずに行動すると、自然と真面目になります。そ
考えて、それが最善の方法だと知るからです。
だいたいこういうことを書くこと自体、【思索が深い】ことの証明なのではないでしょうか。
このように高校2年になってやっと、自分のことがよくわかってきました。
自分のことを自分として認めることができたのです。
そして、駄文ながらも言語化することができたことをうれしく思っています。
長文を読んでくれてありがとうございます。
しかしこの世の中、理性だけでは、ままならない事態があるようです。
最近そのことに気づかされましたね。
次回、そのことについて書いてみたいです。
では、また^^
なんか訳のわからないタイトルをつけましたが、最近、過去を振り替えざるを得ない状況が続いたもので・・・
面倒でしたら最後の結論だけどうぞ。(赤字)
昨日、体育祭の打ち上げがありました。
後輩が、うちの学年の女の子に恋をして、告白するというのです。
その子は、僕の元カノでありまして、いろいろまた聞かれる羽目になりました。
まあそんなのはいいとして、抽象的なことに移りますね。
まずは事実から。
「僕は、過去のことは多く語りません。」
特に、恋愛のことに関すると、その傾向は著しく現れます。
なぜか。
それは、ぶっちゃけ恥ずかしいからです。
何が恥ずかしいのか。
過去の自分が非常に恥ずかしいのです。
僕は、一つ学年があがるごとに、心の中で、漠然と目標を定めています。
毎年3月になると、一年を振り返り反省をします。
毎年4月になると、その反省を生かし、目標を決めるのです。
最近思います。僕は着実に成長していると。
特に恋話の話題では、「あの頃は馬鹿だったなぁ」と思います。
中2頃は、まともに女子としゃべれなかったり、去年は、無理矢理はしゃいだりしました。
でも今では、無理する必要もないし、自分は自分のままであるべきだと思うようになれました。
高2になってやっと、「自分」というものをもつことができた気がします。
人間は、日々成長をしています。
特に十代の成長は著しいものです。
身体的にもそうですし、精神的にもおおいに成長するでしょう。
しかしその成長を自分で認識しながら生きる人は数少ないはず。
俺は、意識して、ちゃんと考えている。
でもね、自分が今振り返って、過去の自分を客観視できるからこそ、過去が恥ずかしいのだ。
「あの頃はあんなころをしてしまった」と。
「自分のことは自分がよくわかっている」とよくいうけれど、
なかなか今の自分自身を把握するのは難しいものです。
でも「過去の自分をよく知っているのは今の自分だ」
過去の自分のことがわかっていて、今は成長しているから、
僕は、胸張って言い訳して、謝ることができる。
ほんとにまとまりのない文章になってしまった。まだまだです。
僕が仮説を立てるに、若い人、特に10代、20代は、急激に成長する。
40、50代になるとほぼ横ばい。
言い方が悪いかもしれないが、高齢者は、マイナスの傾きで成長している。
だから大人は昔のことばかりはなすのである。
昔は~だった。←これは昔がよかったから、懐かしいから、すばらしいものだったと感じているからではないでしょうか。
とにかく僕がいいたかったのは、若者は、自分も含め着々と成長している。
それを僕はきちんと認識し、過去の自分を客観視することができるから、なんとなく恥ずかしいのである。
だから僕はあまり過去を語りたくない。つい閉口してしまう日々が続いています。
ながながとなりましたが、最後まで読んでくれた方はありがとう。
では、また^^
今、朝刊とZ会の月刊誌『Azest』を読み終わりました。
昨日は遅くまでPCでいろいろ作成してたので、
今朝は起きるのが遅くなってしまいました。
始業式が始まるまで僕は『夜と霧』を読んでいました。
新聞、『Azest』、『夜と霧』。
それぞれから学ぶべき教訓が多々ありました。
それぞれ深く付け加えたいことがありますが、
それは時間的に厳しいので、
忘れないうちに簡単にまとめておきます。
①生きる意味とは?
『夜と霧』によると、
私たちが生きる意味を問うのではなく、生きることが私たちに意味を問うのである。
これは非常に深い。訳がわからない。
「生きる意味とはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。」
なるほどと思うだろうか?いつか時が経った時にまた読み直してみたいと思う。
『夜と霧』 ヴィクトール・E・フランクル作 池田香代子訳 みすず書房出版
②リーダーとは?
基本的に僕の通う学校は、次世代のリーダーを育成することが目標です。
Z会員によると、
「本当のリーダーって人に仕える人のことじゃない?」と言われたらしい。
自ら率先して活動する人でなければ、誰もついて行きません。
もしかしたらリーダーは雑用さえも率先してやり、
それが楽しいと思える人かもしれません。
ただ命令しているだけではダメ。自分で動けるひとじゃないと。
③共同体と無償の愛。
Z会顧問・大阪大学名誉教授、加地 伸行先生の記事。
「ある共同体にいる人々を結びつけているものの根本は、無償の愛なのである。」
その典型が家族である。
他にも、昔の日本には地域共同体とか、様々なものがあったが、
そういった共同体は、現在の日本ではほとんど崩壊してしまったという。
崩壊原因は近代化らしい。
近代化で、機械や工業といった物的なものだけの模倣ならよかったが、
精神的なもの、思想的なものまで、丸ごとまねすることに原因があるらしい。
無償の愛は重要であろう。のちのち考えていきたい。
④最後に、薬害の記事や乳ガン再発予防の薬について記事を読んで。
二つにある共通点は、日本の薬に対する対応の遅さだ。
サリドマイドについてはこう書かれている。
「各国が販売をやめたが、日本では販売中止や回収が遅れ、被害者が増えた。」
薬害エイズについては、
「その当時から非加熱血液製剤が危険なことを知りながら必要な手を打っていなかったことなどが資料で明らかになった。」
抗ガン剤ハーセプチンが、手術後の再発予防に使えるようになったことについて。
非常にいいことだが、
「だが日本の申請時期は、欧米より9ヶ月遅れた。書類の和訳や日本独自の解析などを求められたのが主な要因とみられる。」とある。
ほかに、
「日本は先進国の中で、最も承認が遅かった国の一つ」や
「適応拡大が認められるまでの間に再発した患者もいる。こうした患者のことを国は考えるべき」など。
まあこれは重要なことだと思う。
そんなこんなで長くなってしまった。
これらに加えて、「医師の労働時間」についても書きたいが、これは別の機会に書くとする。
久しぶりに長い文章を書いて、タイピングがうまくいかないことに気づいてしまった。
では、また^^
「思いやり」は、人であり続けるために、重要なものの一つだ。
「思いやり」とは、相手の立場となって考えることである。
「思いやり」とは、相手の人生を考えることである。
「思いやり」とは、相手の感情を過度に心配することである。
「思いやり」の無い者は、人を殺す。相手が幼児でも、家族でも、恋人、他人でも関係はない。
「思いやり」の無い者は、戦争を起こす。原爆を落とし、多くの人々の心に深い傷を負わせる
「思いやり」の無い者は、簡単に「死ね」と言ってしまう。時には自らの意志とは関係なしに。
最近、いや昔からあったはずだが、殺人事件が増えている。
特に俗でいう、無差別殺人は相手の人生を考えず、自分の欲求、望みから起きたものだ。
飲酒運転。幼児虐待。そして戦争。
戦争は、民族、経済の利益を求めた戦い。
戦争は、罪の無い者を殺し、同じ仲間である人類、我々を創り繁栄させた地球を、壊した。
戦争は何も生み出さない。戦争には、悲しみと憎しみが残るだけ。
「思いやり」など、どこにもない。
僕は、あまり意識していないが、しょっちゅう「死ね」と言われていると思う。
僕はほとんど全く言わない。絶対に言わないと言ってもいいくらいである。
ごくごくまれに言ってしまうことがある。
その時は、「人間じゃなかったなぁ」と思い、反省します。
「死ね」なんて人から言われなくても、自ら命を絶つ人がいる。
「死ね」なんて言う気力もない人が、日々死んでいる。
「死にたくない」「まだやりたいことがある」
そう思う人はたくさんいる。
もし僕が不慮の事故で死んでしまったら、
僕は死後の世界ですごく悔しがっているだろうなっと思います。
小学校の教室の黒板の上にいつもあった言葉。
~~目標とかいうのかな?
『やさしく、かしこく、たくましく』
やさしく・・・思いやることだ。相手の立場に立てば、自然と優しくなれるだろう。
かしこく・・・善悪を見抜く。状況を的確に理解し、問題を解決することができる人のことだ。
たくましく・・・頭脳は肉体があってこそ。肉体は頭脳があってこそ。
もしかしたら、本当に人類があるべき姿は、
『やさしく、かしこく、たくましく』生きることかもしれない。
では、また^^