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日々テキトーに授業を消化しています。
でも全然退屈じゃないし、楽しんでいます。
しかし本当に小論文という科目は難しいです。
今日(?)先週当たりもそうだったかもしれないが、
先生の伝えたかったことは、「僕らが小論文を書く上でのスタンス」である。
そのスタンスとは。
僕らは「医者になろうとしている存在」であるということだ。
医者になるべく者であるが、決して医者ではない存在。
このスタンスに立った時、僕らはまず医者の立場で小論文を書かなければいけない。
しかしここで注意がある。
決して投げっぱなしにしてはいけない。
医者は~であるべきだ。と終わらせてはいけない。
そのために私は~をする。まで書かなければいけないのである。
今回は久し振りに携帯を握ったので、携帯で更新しました。
では、また^^
なんか訳のわからないタイトルをつけましたが、最近、過去を振り替えざるを得ない状況が続いたもので・・・
面倒でしたら最後の結論だけどうぞ。(赤字)
昨日、体育祭の打ち上げがありました。
後輩が、うちの学年の女の子に恋をして、告白するというのです。
その子は、僕の元カノでありまして、いろいろまた聞かれる羽目になりました。
まあそんなのはいいとして、抽象的なことに移りますね。
まずは事実から。
「僕は、過去のことは多く語りません。」
特に、恋愛のことに関すると、その傾向は著しく現れます。
なぜか。
それは、ぶっちゃけ恥ずかしいからです。
何が恥ずかしいのか。
過去の自分が非常に恥ずかしいのです。
僕は、一つ学年があがるごとに、心の中で、漠然と目標を定めています。
毎年3月になると、一年を振り返り反省をします。
毎年4月になると、その反省を生かし、目標を決めるのです。
最近思います。僕は着実に成長していると。
特に恋話の話題では、「あの頃は馬鹿だったなぁ」と思います。
中2頃は、まともに女子としゃべれなかったり、去年は、無理矢理はしゃいだりしました。
でも今では、無理する必要もないし、自分は自分のままであるべきだと思うようになれました。
高2になってやっと、「自分」というものをもつことができた気がします。
人間は、日々成長をしています。
特に十代の成長は著しいものです。
身体的にもそうですし、精神的にもおおいに成長するでしょう。
しかしその成長を自分で認識しながら生きる人は数少ないはず。
俺は、意識して、ちゃんと考えている。
でもね、自分が今振り返って、過去の自分を客観視できるからこそ、過去が恥ずかしいのだ。
「あの頃はあんなころをしてしまった」と。
「自分のことは自分がよくわかっている」とよくいうけれど、
なかなか今の自分自身を把握するのは難しいものです。
でも「過去の自分をよく知っているのは今の自分だ」
過去の自分のことがわかっていて、今は成長しているから、
僕は、胸張って言い訳して、謝ることができる。
ほんとにまとまりのない文章になってしまった。まだまだです。
僕が仮説を立てるに、若い人、特に10代、20代は、急激に成長する。
40、50代になるとほぼ横ばい。
言い方が悪いかもしれないが、高齢者は、マイナスの傾きで成長している。
だから大人は昔のことばかりはなすのである。
昔は~だった。←これは昔がよかったから、懐かしいから、すばらしいものだったと感じているからではないでしょうか。
とにかく僕がいいたかったのは、若者は、自分も含め着々と成長している。
それを僕はきちんと認識し、過去の自分を客観視することができるから、なんとなく恥ずかしいのである。
だから僕はあまり過去を語りたくない。つい閉口してしまう日々が続いています。
ながながとなりましたが、最後まで読んでくれた方はありがとう。
では、また^^
昨日は体育祭でした。
4色(白、青、赤、緑)に分かれて競い合いました。
僕は白でした。
結果は、一位青、二位赤、三位緑、四位白。
結果は関係なく、みんな満足感と疲労感に包まれていました。
非常によい体育祭だったようです。
ひとごとみたいに書きましたが、僕の意見は言うと怒られそうなので書きません。
ちなみに僕の活躍したところは2点。
学年リレーで一人抜かしました。結果、また別の人が抜かれてしまったので、意味なし・・・・
もう一つは、騎馬戦。
一回戦はどう戦うのかわからず、あっさり負けてしまいましたが、
二回戦は、自慢の頭脳を駆使して挑みました。
その結果、僕個人の騎馬は、一人を倒し、一人と引き分けました。
最初は、相手もとったけど、俺の方が早くとっていたので、俺の勝ち。
2騎目は、相手の副団長でした。接戦の末、同時に相手の帽子をとりました。
みんな僕のことを応援してくれてありがとう~!!
副団長の騎馬の下の人が、僕の騎馬に蹴りを入れていたそうですが。
ちなみに白組全体としては、騎馬戦で最下位に終わりました。
全体で白が一位をとった種目は、一年リレーと、一年の綱引きのみです↓↓
残念。
今日は午後から、一年生抜きで、綱引きの打ち上げにいってきますw
では、また^-^
今日はピアノの発表会でした。
この日のために10月から頑張って練習してきました。
曲目は、連弾が「サンライズ・サンセット」。ソロは「軍隊ポロネーズ」です。
習っている人は、僕より若い人が多く、順番は先生の前でした。
今までの経験上、緊張してしまって実力が出せないことを予想していました。
リハの状態から考え、いかにリラックスし、いかに集中するかが重要でした。
母に聞いた。「深呼吸するのがよい。鼻から吸って大きく何度も深呼吸」
やはり深呼吸か~~と思いましたね。
集中力はもともとありました。でもより集中できるよう、シス単をやっていました。
(シス単は、使っている人も多いと思いますが、いわいる英単語帳です。)
英単語の集中力をそのままスライドさせて、ピアノに向ける作戦ですねw
まあいざやる時、意外と緊張していませんでした。
考えられる理由は3つ。
①ピアノの発表会ということ自体に慣れてきていた。
②リハや、連弾の時に舞台に上がっていて、舞台という環境に慣れていたから。
③それなりに弾きこなしてきたから。
ピアノの前に座った時、ちゃんと深呼吸しましたよ。
だいたいうまく弾けました。
この発表会の一番好きなところは、演奏後に先生が必ず「いい演奏だった」と褒めてくれることです。
良くも悪くも褒められるとうれしいです。
今回はさらにもう一つうれしいことがありました。
出演者の中で男子が僕一人だったこともありますが、僕の演奏が好評判だったことです。
母の話だと、僕の演奏のときは観客がシンとして、ちゃんと聞いていたそうだ。
僕自身も、最後の発表が終わったときに、お母様方が「男の子かっこよかったね~」と言っているのを聞いた。
帰り際には、結構年配の女性に「よかった」と声をかけられました。
僕も素直に「ありがとうございました」と答えられました。
人から評価されることは気持ちがいいです。でもそれを目的にしてはいけないと思う。
自分が満足するかどうか。
今回の僕の収穫は、緊張に打ち勝つ術を学んだこと。
受験本番の緊張せずに、集中して、実力以上の力を発揮したいです。
しかし、ホントに気持ちよかった。自分でいうのもなんだが、すばらしい演奏だった。
とにかく僕は満足している。今までで一番満足した瞬間かもしれない。
では、また~~~^^
3回にかけて書く予定でしたが、変更して2回とします。
論理的に反論する練習をしていました。
次の会話文を読み、男性に対して論理的に反論してください。
「なんで二股かけるわけ?」
「俺の愛は無限だから2で割っても無限なんだよ。だから二股かけていようがいまいが、お前に対する愛は変わらないわけだろ。何が不満なんだよ。」
模範解答的自分の回答をお見せしよう。これは冷静に考えれば簡単な問題だから。
感情的になっちゃダメよw
男性の愛は無限であったとしても、男性自身は一人であり、女性と共有する時間は有限である。だから二股をかけると、女性との関係は薄くなり、結果として、二人の愛は変わってしまう。
これは背理法を使っている。
次にやった問題は、「どうしてゴミを投げ捨ててはいけないか」であった。
結局先生が言いたかったのは、「常識を疑え」である。
どうして浮気をしてはいけないの?どうしてポイ捨てはいけないの?
常日頃「常識」とと思われていたものに対して疑問を持ち、考える。
ただ常識を常識とみるのではなく、理屈から理解しなければいけない。
常識は、古くから様々な人が考えてきた結果である。
結果だけを鵜呑みにせず、自分で考えてみることが重要である。
考えた結果が常識でも構わないんだ。
しかし前述の浮気の問題だが、それでも好きという時はどうなるだろうか?
以前、「論理が感情を凌駕したら」とかいう記事を書いたが、今回はその逆である。
理屈ではありえない、浮気をする最低な男がいる。
でもそんなやつが好き、それでもやっぱり好きということがあるかもしてない。
感情>理性である。こうなったときその人はどうなってしまうだろうか?
人間なのだからこういったことは必ず将来出てくる。
そのためによく国語の先生は、「大恋愛をしろ」という訳である。
感情が理屈や理性を乗り越えてしまうことがあることを、よく認識しておくべきかもしれない。
まあとにかく今回の授業は、論理的に考えて反論する。
そのためには日頃から常識を疑って考える癖をつけることが必要である。
ってこと。
では、また^^